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護国寺について

宗祖日蓮大聖人は、弘安5年(1282)10月8日 病の床で弟子の日昭聖人、日朗聖人、日興聖人、日向聖人、日頂聖人、日持聖人の六人を本弟子・後継者と定められた。(六老僧)
当山は日朗聖人の法脈を受継ぐ日蓮大聖人門下寺院として、宗祖の御教えのもと、南無妙法蓮華経を大曼荼羅ご本尊様より頂戴し、お題目を信じ、唱えることの大切さを布教する法華経信仰の道場である。
当山の沿革は、大正時代に日蓮宗大本山 正中山法華経寺大荒行堂において寒壱百日間の修行をされた行住院日成上人が京都の地に布教されたことに端を発する。日成上人の法華経布教のお姿は凄まじく、当時の信者は一万人を超えると伝えられている。
日成上人を恩師と仰ぎ出家をし、行者となった實報院日琯上人は私邸を御仏に布施し、法華経布教の拠点として護国院日得上人とともに当山の前身、護国教会を設立した。両上人は多くの人々に先祖供養の大切さを説くとともに、法華経の経力信心により、人々を病や辛苦よりお救いされた。その後、法灯を継承される能持院日聡上人は、法華教学の大家、総在院日涌聖人(法華宗大本山本興寺第百二十六世御貫首)の門に入り、宗祖のご本意である教えを学び、給仕・修行・学問に励み多くのご信者を教化された。
昭和53年、宗祖御遠忌報恩事業の発願をした上人は、多数の檀信徒の外護を得て、現在地に約千坪の寺域及び堂塔の建立など寺観を整える大事業を完遂された。